kikimoのブログ

人生知らない事ばかり  日々備忘録 海外に暮らしていた事もあったっけ France とか U.S.Aとか         

28年前の今日という日

今日は特別な日となったから

これだけは記録として残しておこうと思う

 

28年前の1996年9月15日(日)午後9時30分ぐらいに

私は女児を出産しました。

生まれるまで性別は知らせないでほしいと、医師に頼んでいましたが

なんとなく...女の子じゃないかしらというただの”勘”ですが

そう、感じていました。

 

9月15日の今日、3020gの女の子が私と夫の元に

生まれてきてくれて本当にありがとう

かわいい天使、神様ありがとう

 

今まで神様からの預かり物だと思って大事に2人で家族として

育ててきました

足りなかったり、多すぎたりバランスを取ることはとても難しいことだけれど

親としてできる限り頑張ってしてきたつもりです。

社会人2年目となった娘の成長は、このコロナにならなかったらきっとわからなかったでしょう

自宅で一生懸命にテレワークに励んでいる様子をみて、成長をしみじみと感じられる

時間をたくましく、そしてありがたいと日々思います

と、共に私も母としてだけでなく、1人の人として私も頑張らなければと

新たに励まされている事も多く感じています

25歳  自分はその頃どうだっただろうなどと振り返ったりもしています。

色々な焦りもあったのも事実です

今程、女性のキャリアの地位が確立されてもいなかったので

大体の女性は結婚をしたら家庭に専念する人が多い時代でした

令和となった今、多様で多彩なチャンスが多くなったその分

全てを手に入れようとするしんどさと、自己のペースを守りながら

生きることの大変さに見てて時々、私自身が悩んだりもします

 

でも

結婚して家族が増えて、喜びは何十倍にもなり

よき思い出が沢山ある積み重なってきました

これからも家族である限り、付かず離れずの良い関係を保ちつつ

お互いを尊重しあって 行けたらと思っています。

本当にお誕生日おめでとう

 

ここからは出産までの備忘録を書いてみようかと思います

 

妊娠がわかってからの記録はどこかに残していたように思うけど

7ヶ月のギリギリまで通勤電車に揺られて一緒に出勤していたので

どこへ行ったやら、行方不明です。

 

1996年の1月は徳島に実家があったので、結婚して初めて夫となった人と

一緒に徳島へ帰ることとなった。

その時はまた妊娠がはっきりとわかっておらず、でもなんとなく体調の不調?というか

違和感のような変化を感じていました。

とにかくフルーツ(徳島の大きないちご)やご馳走をたくさん食べた

そしてとても元気だった

食欲が旺盛というか、実家だからかしらと思う程度だったけど。

両親と夫と私で初めてケーブルカーを使って眉山へ登った

四国にある徳島県徳島市の眺望はとても美しく緑が多くて空気がきれいだった印象が

強く、冬だったけれどあまり寒さを感じてはいなかったように思う

まさか後にここで出産になるとは、夢にも思わなかったけれど。

 

その後、体調の変化を感じた私は妊娠したかもしれないと思い、まずは薬局へ

検査薬を購入しに行きました。ドラマでもよく見かけるかのような、全く同じように

トイレでじーっとその検査薬を見つめて結果を待ちました。

丁度、その時夫は超多忙出張中で留守でした。

結果は陽性となったため、そのことを夫に知らせました。

とても喜んでくれました。

しかし、病院できちんと検査をしてもらってから両親などに知らせようと思い、

そこから病院探しとなるのでした。

そのころ住んでいた場所は初めての場所だったので、知り合いもおらず

まずは産婦人科を電話帳で調べました

かわいい絵柄がついていた(確かうさぎ?)病院を

駅近の場所で選び検査の予約を取りましたが、当日はなぜかとても気分が悪くなり

貧血がひどい状況でした。家から駅までの急な坂を下るのは、それだけでも大変だった

記憶があります。

今は夫婦で揃って産婦人科へ行くのが当たり前ですが、あのころはまだまだ

女性が1人で行くことが多い時代でした。産婦人科に男性がいる事がなかったと思います。

とにかく検査をしてもらい、妊娠しているか、どうか医師の言葉をもらうまではと、

がんばりました。

頑張ったせいで、私は病院にて検査後に倒れ、貧血と疲労で点滴を打つこととなりました。

そのころはまだ、携帯はあったけどサイズも大きく、電波状況も悪かったので

急な事でもあり、点滴が終わるまで夫に連絡はできませんでした。

終わったのが確か、19時すぎていた頃、ようやく電話をかけたら

夫はとてもとても心配していました。

その日は確か、お弁当などを買ってきてもらったような覚えがあります。

少しつまんで眠ったと思います。

 

次の日から私は妊婦となりました。

夫は海外脳の持ち主なので、次回から検診などは全て付き添うと言い出しました。

とりあえず1回目に付き添ってもらいました。というのは、今回選んだ病院での

出産に不安な気持ちがあって見てもらいたかったからでした

結論から言うと、こけしがたくさん置いてあって夫も私も病院を変えようという

事となりました。

 

ご近所の方に聞いて、大きな総合病院がいいと伺ってそこへ通うようになりました。

とにかくつわりが始まると通勤や仕事がとてもつらくて、会社でのランチは一苦労でした

会社の方々が私の食べたい物に合わせて下さって、とても幸せな事でした。

だんだんお腹が大きくなると仕事で着る洋服も、今のように通常に見える洋服が無かったので

人前に出る事が多かった私は

母とデパートでマタニティ売り場で、ワンピースを購入しました

あの頃は本当に妊婦さんのお洋服は、ザ・妊婦って感じの洋服しかなかった事が

働くママには大変だった

5、6ヶ月当たりになると益々お腹が目立ってきて洋服ももう少しおしゃれをしたかったので

夫と自由が丘へ買い物にも行った事がありました。

そこで出会ったかわいいニットのかわいいワンピースがとても気に入って

2枚色違い、柄違いを購入しました

ブルー系と白系のワンピで、お腹にわんこや動物柄が刺繍してあって

それとレギンス、ぺたんこの靴(フェラガモのバラ)を履いて通勤していました

→次回へ