kikimoのブログ

人生知らない事ばかり  日々備忘録 海外に暮らしていた事もあったっけ France とか U.S.Aとか         

深夜にテレビを見たならば♪

ザ・ノンフィクション

 

◆フィクション(fiction)...事実でないことを事実らしく作り上げること 

◆ノンフィクション(non-fiction)... 史実や記録に基づいた文章や映像などの創作品、実話

子供の頃、いつもどっちがリアルなのか混乱してしまっていた私。

 

テレビの録画がすっかり溜まってなかなか消化出来ないでいる。

これまでは仕事をして家事をしても時間があり、割とサクサクサクサク...

自分の好きな時間に見れていたように思うのですが。

なんていってもこの1年はあのウイルスの流行により家族が通常なら不在時間にあたるにも、

みんなが在宅勤務という新しい働き方になってしまい、

家事をどんなにか頑張ってさっさとこなしたとて、在宅にて労働をしている方々の横で

伸う伸う(のうのう)とテレビにかじりついて好きな事をする事は

どこかで罪の意識を感じてしまっているんだと思う...と、

最近テレビのボリュームを下げるクセが無意識についてしまっている事を考えると、

家族を常に意識しているのだなと思う

今のお若い方って不思議とみんなスマホで慣れているせいか、みんなイヤフォンで

音を聴くことが当たり前のようですが、

私は昭和のラジカセ世代、音楽など最初はレコードで育ちステレオの左右の音を

空気と混ぜ合わせてフルボリュームで聞く事が心地良いと感じた世代。

なかなか耳の中に音を突っ込んで、脳が調理するクリアな音が素晴らしいとわかってはいる

ものの雑味のないストレートな音にストレスを感じずにはいられないのです。

あとイヤフォンで耳を塞いでしまうと、外界から意識が遮断されてしまい、

急に話しかけられやしないかとビクビクしてしまって集中出来ず落ち着かなかったり。

音は外に出して、特にテレビやラジオは客観的に見たり聞いたりしたいタイプなのです

 

今日は週末に録画したテレビで、これからも録画するであろう物を入れるために

録画容量を復活させなければと。

なんならつまらなかったら、すぐに消してしまってもいいやって感じで

睡眠導入剤のつもりで何気なくノンフィクションという番組を選んだ。

番組の人々は長い時間かけてずっと追いかけられているドキュメンタリーで、

まるでホームビデオのように淡々と流れる1時間ほどの動画。

その後...なんていうのもあるから、私はそれを逃さないよう連続録画予約で見るほど

好きな番組の1つ。

なんたってノンフィクションだから。

 

今回のテーマは「ふたりの1年生 〜 新米先生と海の向こうから来た女の子」

親の仕事の都合で中国から来た小学1年生の女の子を、教師になりたての23才新米先生が

受け持つという、あらゆる事がなんだか不安しかない状況。

これが英語だったら案外軽いストーリだったのかもしれない

でも完全に言語の手段は中国語のみ。

日本人には漢字というものがありながら、コミュニケーションで中国の方と話すという事では

なぜか本当にハードルが高い状況。

教育現場である学校では日本語や英語を中心に進められているから

でも、大人になって経済外交という立場から見るともはや中国語は不可欠だった。

 

私自身ずっと「言葉の壁」についてはこれまで何度でも苦しめられてきた

それは外国語とかではなく、自分のアイデンティティーである母国語同志の意思疎通について

日本語同士でもコミュニケーションを取ることが大変な幼少期。

転校を繰り返して来た私にとって、日本国内でも環境の変化についていけなくて

でもそれがどういう事なのか、うまく言語化できなくて。

出たり引っ込んだりしながら、子供ながらに空気を読む努力を必死にしていた

 

深夜に睡眠導入剤としてはもはやすっかり流してみることができず、

当然最後まで食らいついて見てしまった。

いきなり日本に連れてこられて人間としても幼い6、7才の女の子、

しかも会話の手段は中国語。

お母さんは事業立ち上げがあり、日本にいても一緒に暮らせておらず、

家庭も少し複雑な感じで叔父叔母家族に預けられており、

お母さんにも仕事がひと段落するまであまり会えないような、不安定な状況だった

 

一番お母さんが必要な時期に甘えられず、しかも

一番長い時間過ごす学校という場所で、言葉の通じない環境。

 

いろんな事を自分自身や自分が子育てをして来た、娘に対してして来た事を

当てはめて思い出していた

その事はまたゆっくり追々と。

 

このテレビ番組の中で私の心を動かしたのは、ある先生の一言だった。

学校行事である学芸会にむけて学年全体で本番に向けて練習に励んでいるシーン

当然言葉がよくわからない中国人の転校生は、

   ・とにかく与えられた3つのセリフを言う

   ・みんなと同じ動作をする(レインコートを早く着てリュックを背負う)

たくさん練習はしてるけど声が小さく、動作も出来ていない。

当然芝居の練習が止まり、おそらく学年主任であろう女の先生に怒鳴られる。

本人も怒られている状況はわかるけど、返す言葉がなく固まる。

クラスのみんなも、学年全体もなんだか緊張感に包まれ....

テレビを見ている私もドキドキしていた

全体練習後、23才の新米先生が講堂の片付けをしながらある女の先生から

 

練習(過程)が全て、本番はいいの

失敗は、した本人が一番悩んでいるんだから

でも「良かったよ。頑張ったじゃん」って(新米先生が生徒に)言えないとダメ

行事は子供を伸ばす為にあるので

成功体験でしか子供は伸びないから

失敗は本人が一番よくわかっているから

「そお?先生にはしっかり聞こえたよ」(生徒をフォローして褒める)

くらい言ってあげないと

先生も自信持って!

 

心が少し興奮するような、高揚しドキドキした言葉だった

そうか、今の私は大人になり行事という名の練習や目標がなく、

日々のルーチンワークは当たり前のように熟(こな)せていて

かと言ってそれはもう成長の必要が無い経験だから、成功体験にはならなくて

苦行という方向へどうしても向かってしまうのか、それが老化なんだと

 

今、様々な問題を抱えていて、全て絡まって出口の無い行事のようで考えると苦しい

日々多少のストレスは必要で、でもそれは成功体験にならないと成長にならないのか、と。

アンチエイジングのつもりで多少なりとも今ある問題と正面から向き合う覚悟を決め、

でも、今年の目標であるマイナス20%(-20%)の力でやってみようかと

そんな事を思いつつ...

次のドラマ「俺の家の話」脚本:宮藤官九郎 に泣き笑いしながら寝た

俺の家の話の今回のテーマは 「離見の見」 能の世界での世阿弥能楽

     ◆客観的に俯瞰して物事を見ると言うこと◆

これは私の日々心掛けている事で、心に刺さるドラマでした。

♪本日のお供:テレビ ザ・ノンフィクションby フジテレビ

       ドラマ「俺の家の話」by tbs